現代にこそ響く『学問のすすめ』 

読んだ本

 

福澤諭吉と聞いて何を浮かべますか?

:聞いたことある
:1万円札に乗っている人
:慶應義塾を創った人
そんな福澤諭吉の著書として『学問のすすめ』があります。
”名前は聞いた事があるけど、読んだことはない”
そんな人も多いのではないのでしょうか?
読んでみたので共有しようと思います。

明治時代 当時の日本

当時日本は、幕末が終わり明治維新直後の日本人は

数百年変わらず続いた封健社会と儒教思想しか知らず、

四民平等の世になかなか馴染めずにいた。

どのようにすれば国や個人が独立し植民地化を防いで近代化できるのか、

皆が考えなければならなかった。この本を通じて国民それぞれが考えるきっかけを、、と
国民皆学の思想を投げかけたのです。

学問とは何か?

福沢は本著においてこの問いを何度も読者に投げかけています。
本著の中で
本を読む事だけが学問ではない
“古事記”は暗誦しているけども、米の値段を知らないのは、実生活の学問に弱い人間である
実生活も学問であって、実際の経済も学問、現実の世の中の流れを察知するのも学問である
それらを生かしてこそ学問だと言うこと。

なぜ学問を重んじたのか

幕末から明治に変わり国は大きな転換期を迎えた。

どのようにすれば国や個人が独立し、

欧米からの植民地化を防いで近代化出来るのか、

国民1人1人が考えなければいけない状況にあったと考えたのでしょう。

国家と個人は対等

国家は個人に契約もしくは委託されているようなものなのだから、きちんと一人一人の安全保障をして守るべき
と正論を述べる一方で
国民は気持ちよく税金を払え。少しのお金で安全を買えるなんてこれほど安い買い物はない}とも言っている。

この対比は個人的に好き。それぞれの役割を認識すべきと言うことでしょう。

疑った上で判断せよ

信じることは偽りが多く、疑うことは真理が多い。
試しに見てみよ。世間の愚か者たちは、人の言葉を信じ、本に書いてあることを信じ、俗説を信じ、ウワサを信じ、神仏を信じ、占いを信じる。
両親の大病に按摩の言うこと信じて草の根や木の皮を薬として使い、娘の縁談に家相を信じていい話を断る。病気で熱が出ているのに医者にかからず念仏しているのは、阿弥陀如来を
信じているからである。21日間の断食をして命を落とすのは、不動明王を信じているからである。
周りの意見を聞き入れつつも
自分の判断基準を持ち判断することは大切だと感じた。
判断基準を養うのも学問。